SSブログ

西遊記、三蔵法師の旅の出発点

スポンサーリンク




三蔵法師(さんぞうほうし、繁体字:三藏法師、簡体字:三藏法师、拼音: Sānzāng fǎshī)とは、仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)のこと。また転じて訳経僧を指していうようになった。単に「三蔵」と呼ぶこともある。

日本では中国の伝奇小説「西遊記」に登場する人物「三蔵法師」として特に有名だが、三蔵法師というのは一般名詞であり、尊称であって、固有名詞ではない。西遊記の三蔵法師(玄奘三蔵)は数ある三蔵法師のうちのひとりである。

以下、画像
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%B8%89%E8%94%B5%E6%B3%95%E5%B8%AB&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

概要[編集]

特に、インドや西域から教典をもたらし、漢訳した人々を尊称して「訳経三蔵」や「聖教三蔵」、あるいは「三蔵法師」と呼ぶことが多い。

四大訳経家に数えられる鳩摩羅什や、真諦、不空金剛なども多くの経典の漢訳を手がけており、「三蔵法師」と呼ばれるが、なかでも最も有名な三蔵法師は唐代の僧・玄奘三蔵である。

玄奘は仏教の経文原典を求めてインドを周遊し『般若心経』(ただし異説もある)を中国にもたらした。更にその業績は『大唐西域記』や『大慈恩寺三蔵法師伝』として纏められ、後に『大唐三蔵取経詩話』でフィクションを含有するようになり、最終的には『西遊記』に結実して世界中に知られるようになった。このため日本では「三蔵法師」と言えば、玄奘を指すことが多い。

「三蔵法師」という称号を歴史的に見た場合、すでにインドで経論律の三蔵に通暁した僧侶を「三蔵法師」と呼んでいたとされる。中国でもこれにならい、南朝宋(420年~479年)代の求那跋摩・僧伽跋摩(伝記は梁代の『出三蔵記集』巻14所収)が、その用例の始まりとされる。その後これが一般化し、特に北周(556年~581年)代には、昭玄三蔵や周国三蔵など僧官の称にも流用された。また隋代の『歴代三宝紀』以降、三蔵法師は「三蔵禅師」や「三蔵律師」などと同様に、出身地の名称を付して渡来した訳経僧の中でも、高僧を指して尊称された例が頻繁に見られる。

そして8世紀頃になると、渡来の訳経僧に限らず、中国の訳経高僧をも指して用いられるようになり、また過去の訳経僧にも遡って称されるようになった。玄奘が後世に「三蔵法師」と俗称されたのもこれによるものとされる。

引用元
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%94%B5%E6%B3%95%E5%B8%AB


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。